エルサレム|三大宗教の聖地

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砂漠の乾いた風が吹き抜ける丘の上に、石灰岩で築かれた古い城壁が見えてくる。古代から無数の民族と王国が入り乱れ、祈りと戦いが積み重なった都市──エルサレム。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三つの宗教が、同じ都市を“聖地”として見つめ続ける場所は世界でもここだけだ。そのためエルサレムは、神聖さと緊張が常に共存する独特の空気をまとっている。

この街はただ古いだけではない。歴史、宗教、政治が絡み合い、現在進行形で紛争の中心にもなっている。旅人が歩けば歩くほど、石畳の下に幾層もの“時間の地層”が眠っていることに気づかされる。

本稿では、エルサレムという都市がどう形成され、なぜ三大宗教の聖地となり、現代の緊張がどこから生まれているのかを整理する。


目次

  1. エルサレムとは何か──三大宗教が重なる“時間の地層”
  2. エルサレムの歴史──神話と帝国が交錯する都市
  3. なぜエルサレムは“聖地”なのか──三つの宗教が見つめる場所
  4. 現代のエルサレム──宗教・民族・国家が交錯する“未解決の問題”
  5. 現地視察ガイド──歩いてわかる“多層の聖地”
  6. コラム:ディアスポラとシオニズム
  7. まとめ──“争いの地”であり続ける理由
  8. 参考文献・外部リンク

エルサレムとは何か──三大宗教が重なる“時間の地層”

エルサレムは地図上では大都市ではない。だがその存在は、地球上の信仰と政治の重心を揺るがし続けてきた。丘に築かれた城壁都市は、古来より「神が選んだ地」「啓示の舞台」として語られ、世界中の信徒が祈りを捧げる象徴となっている。

同時に、宗教・民族・国家の思惑が衝突する場所として、歴史上もっとも多くの戦争を経験した都市でもある。ユダヤ教徒の祈りの声と、キリスト教の鐘の音、そしてイスラム教のアザーン(礼拝の呼びかけ)が狭い空間で同時に響く──たった数百メートルの距離に三つの宗教の“心臓部分”が集まっている光景は、世界でも極めて特異だ。

エルサレムは、三つの宗教の聖地が1平方キロ以内に重なり合う、世界でも稀な“信仰の密集地帯”である。


エルサレムの歴史──神話と帝国が交錯する都市

古代の始まり──ダビデ王国とソロモン神殿

エルサレムの物語は、紀元前10世紀ごろにダビデ王がここを首都と定めたことから始まるとされる。王の後を継いだソロモンは第一神殿を建設し、ユダヤ教徒にとっての“神の住まう場所”が誕生した。第一神殿の建立は、後の歴史において聖地概念の核となった。

バビロン捕囚から第二神殿時代へ

紀元前586年、新バビロニア帝国がエルサレムを破壊し、第一神殿は崩壊する。多くのユダヤ人がバビロンへ連行された「バビロン捕囚」は、ユダヤ史の大きな転換点だ。

のちにペルシア帝国のキュロス大王が帰還を許可し、神殿が再建される。第二神殿時代に入り、ユダヤ教の儀式・律法・共同体意識が整えられ、離散のなかで信仰を維持する基盤が築かれていく。

出典:Captivity of Babylon.png(Wikimedia Commons, Public Domain, 1873)

ローマ帝国とヘロデ王の時代

紀元前1世紀、エルサレムはローマ帝国の支配下に入る。ヘロデ大王は第二神殿を大規模に拡張し、巨大な聖域を造り上げた。だがローマの支配と宗教的緊張は増し、イエスの活動と受難もこの政治背景の中で起きた。

紀元70年、ローマ軍はユダヤ戦争を鎮圧する過程で第二神殿を破壊する。残された西側の壁が、現在の「嘆きの壁」である。

ビザンツ、イスラム、十字軍、オスマン帝国

その後エルサレムは、ビザンツ帝国のキリスト教支配、7世紀のイスラム勢力の進出、十字軍による占領と奪還、再イスラム化、16世紀以降のオスマン帝国統治と、次々に支配者が入れ替わった。宗教と帝国が交錯し、都市は“聖地の争奪戦”の舞台となる。


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