なぜエルサレムは“聖地”なのか──三つの宗教が見つめる場所
嘆きの壁(ユダヤ教)
嘆きの壁は第二神殿の外壁として残った唯一の構造物で、ユダヤ人にとって最も神聖な場所だ。神殿崩壊後、ユダヤ人は世界中に散らばったが、この壁は「いつか神殿が再建される」という希望の象徴であり続けた。
壁の石と石の間には祈りを記した紙が挟まれ、終日祈りの声が響く。男性と女性で祈りのスペースが分けられ、祈りを守り、記憶を繋ぐという行為が日常の中で継続されている。


聖墳墓教会(キリスト教)
旧市街の中心に位置する聖墳墓教会は、キリスト教最大の聖地とされる。ここはイエスが十字架に磔にされたゴルゴタの丘、そしてイエスが埋葬され、復活した場所と伝えられている。
教会内部は驚くほど複雑で、ギリシャ正教会、ローマ・カトリック教会、アルメニア使徒教会など6宗派が共同管理する。鍵の管理すら宗派間の対立を避けるため、代々ムスリムの家系が担うほどだ。多宗派の共存は、エルサレムという都市の縮図でもある。




岩のドーム(イスラム教)
金色に輝く「岩のドーム(ドーム・オブ・ロック)」は、イスラム教第三の聖地とされる。預言者ムハンマドが夜の旅で天に昇ったとされる岩を覆う建造物であり、ハラム・アッシャリフ(高貴な聖域)全体の中心に位置する。
この場所はユダヤ教徒にとっても第一・第二神殿があった「神殿の丘」であるため、宗教的・政治的緊張が最も高まりやすい聖域でもある。ちなみに岩のドームの真横に嘆きの壁が位置している。

現代のエルサレム──宗教・民族・国家が交錯する“未解決の問題”
イスラエルとパレスチナの対立構造
1948年のイスラエル建国以降、エルサレムは国家間の争いの核心となってきた。1967年の六日戦争でイスラエルが東エルサレムを制圧すると、イスラエルは全エルサレムを自国の首都と主張する。一方で国際社会の多くは東側を占領地とみなし、パレスチナ側も首都と位置づける。
「二つの首都が同じ都市に置かれる」という矛盾した現実が、いまも政治と生活のあらゆる場面に影を落としている。

聖地管理をめぐる摩擦
神殿の丘は、ユダヤ教・イスラム教の信仰、国家の治安、既存の管理体制が複雑に絡み合う最もデリケートな場所である。宗教行事が重なる時期には警備が強化され、衝突が起こることもある。
観光都市としての顔とリスク
緊張が絶えない都市でありながら、エルサレムは世界屈指の巡礼・観光都市だ。旧市街の通りには香辛料の匂い、宗教書、十字架、ユダヤ教の祭具、アラブ菓子が並び、文化が混じり合う活気がある。
一方で強固な治安チェックやデモ、軍の巡回といった現実も同居し、旅人は「聖地の美しさ」と「現代の緊張」を同時に目撃することになる。



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