ペトラ遺跡探訪記・2日目 ― 高台から見下ろす古代都市

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再びワディ・ムーサから

ペトラ2日目の朝、ワディ・ムーサの町は静かだった。この日は濃霧に包まれ、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

前日の疲労が残る中、再び遺跡の入口へ向かう。昨日歩いたシークを抜け、エル・ハズネを横目にさらに奥へ進む。観光客の姿が減り、やがて赤褐色の岩肌と乾いた風だけが残った。

王家の墓群へ

エル・ハズネから北東へ進むと、岩壁をくり抜いて造られた巨大な墓群が並ぶ。通称「王家の墓群」と呼ばれるこの区画には、アーン墓、絹の墓、コリント式の墓、ウルヌ墓など、ギリシャ風の装飾を持つ墓が集中している。墓の内部は装飾を持たず、外観に重きを置く点が特徴的だ。

ナバテア人の信仰や死生観はローマ化の影響を受けつつも独自の様式を保っていたとされる。墓の配置や方向性には宗教的な意味があると考えられているが、詳細は未解明のままである。

コラム|なぜ「王家の墓群」と呼ばれているのか

ペトラ東側の崖面に並ぶ巨大な墳墓群は、一般に「王家の墓群(Royal Tombs)」と呼ばれている。エル・ハズネの奥、都市の中心を見下ろす位置にあり、その外観は圧倒的な規模と装飾を誇る。絹の墓、ウルヌ墓、コリント式の墓などが代表的で、ファサードにはギリシャ風の円柱やペディメントが施されている。その豪華さから、かつての訪問者たちはここをナバテア王族の墓所と考え、「王家の墓群」と呼ぶようになった。

しかし、この名称は学術的な確証に基づくものではない。墓碑銘や記録が残されておらず、どの墓がどの王に属するのかを示す直接的な証拠は見つかっていない。つまり「王家の墓群」という呼称は、規模の大きさと立地の象徴性から生まれた便宜的な名称に過ぎない。19世紀にペトラを訪れたヨーロッパの探検家たちがこの地を記録する際、壮麗な外観を見て王族の墓と推定したことが名称定着のきっかけとなった。

ナバテア王国は紀元前4世紀から西暦106年まで続いたが、王の埋葬に関する確かな史料は乏しい。王アレタス4世やオボダス3世といった支配者の名は知られているものの、彼らの墓がどこにあるのかは不明である。一方で、これらの墓が都市全体を見下ろす位置に集中している点は注目される。市街と神殿群を視覚的に支配する配置は、王権や宗教的権威を象徴する意図を感じさせる。

考古学的には、これらの墓が単なる埋葬施設ではなく、儀礼や祖先崇拝に用いられた可能性も指摘されている。内部には彫像や装飾の痕跡が少なく、むしろ空間そのものに象徴性を持たせた構造と考えられる。岩壁を削り出して造られたこれらの墓群は、ナバテア人の技術力と宗教観を最もよく示す建築遺構の一つであり、「王家の墓群」という呼称が持つ威厳は、今も訪れる者に強い印象を与えている。

サブコラム|三つの主要墓の名称由来

王家の墓群の中でも特に有名なのが、「絹の墓」「コリント式の墓」「ウルヌ墓」の三つである。いずれの名称も、ナバテア人自身が名付けたものではなく、19世紀以降にペトラを訪れた西欧の探検家や学者が、外観や装飾の特徴から便宜的に呼ぶようになった名称である。

絹の墓(Tomb of the Silk) は、墓の岩肌に見られる独特の色彩がその名の由来である。赤、橙、紫、白などが層状に重なる砂岩の模様が、まるで絹布のように滑らかで光沢を帯びて見えることから、この名が与えられた。内部は装飾がほとんどなく未完成のままであるが、自然の岩肌が描く模様の美しさから、現在でも観光客に人気が高い。

コリント式の墓(Corinthian Tomb) の名は、正面の柱頭装飾に見られるギリシャ建築の「コリント式(Corinthian)」に由来する。ファサードには二層構造の円柱とペディメント(三角破風)が配され、エル・ハズネと類似した設計が採られている。ナバテア人がローマ文化の影響を受けつつも独自の意匠を加えたことが、この墓からも読み取れる。

ウルヌ墓(Urn Tomb) は、最上部中央に置かれた壺(Urn)状の装飾が名前の由来となっている。この壺は王の魂あるいは聖なる火を象徴したと考えられており、墓全体が宗教的象徴として設計された可能性が高い。ウルヌ墓は王家の墓群の中で最も規模が大きく、西暦5世紀頃にはキリスト教徒によって教会として再利用された記録も残る。内壁には祭壇跡や壁面装飾の痕跡が見られ、ナバテアからビザンティン期への文化的連続性を示す遺構としても貴重である。

さらに、宮殿の墓(Palace Tomb) も注目される。王家の墓群の中で最も巨大な建造物であり、高さ約46メートル、三層構造のファサードを持つ。その壮麗な姿から「宮殿の墓」と呼ばれている。ローマ皇帝ネロ(在位54〜68年)の黄金宮殿(Golden House)を模倣して築かれたとされ、手の込んだ装飾や立面構成からも、王族の権威を象徴する記念建築であった可能性が高い。

上部の一部は崩落し、現在は切り出した長方形の岩で補修されているが、その威容はいまも健在だ。自然の岩山を用いながらも都市の象徴的建築としての秩序を備えたこの墓は、ナバテア人が築いた「死者の宮殿」として、ペトラの宗教観と美学を体現している。

アロンの墓の伝承(ジャバル・ハールーン)

ペトラの西方にそびえる山、ジャバル・ハールーン(Jabal Haroun)は、旧約聖書に登場するモーセの兄アロン(Aaron)の墓があると伝えられている。標高約1350メートル。ペトラ遺跡の中でも最も聖なる場所のひとつとされ、古代から巡礼の対象となってきた。

今回の旅では濃霧の影響でジャバル・ハールーンを視認することはできなかった。

聖書『民数記』によれば、アロンはホル山で息を引き取り、そこに葬られたと記されている。その「ホル山」にあたる場所として古代以来伝承されてきたのが、このジャバル・ハールーンである。頂上には小さな白いイスラム教の聖廟が建ち、アロンを預言者ハールーンとして崇めるムスリムたちの礼拝の場ともなっているそうだ。

考古学的調査によると、現在の廟の下層にはビザンティン期の教会跡が存在し、5世紀頃にはキリスト教の巡礼地であったことが確認されている。そのさらに下層にはナバテア時代の基礎構造があり、ペトラ時代からこの山が宗教的聖域として崇敬されていたことを示唆している。頂上からはペトラの都市全景と、遠くネゲブ砂漠までを一望できるという。

エル・ハズネを見下ろす道(アル・フブサ・トレイル)

遺跡の北東部から伸びるアル・フブサ・トレイル(Al-Khubtha Trail)は、ペトラでも最も人気のある登山ルートの一つだ。約40分から1時間の登り道を経ると、峡谷の対岸にある断崖の上へとたどり着く。そこから見下ろすエル・ハズネ(宝物殿)は、地上から見る姿とはまったく異なる印象を与える。

下からは神殿のようにそびえて見えるエル・ハズネも、上から見れば岩壁の一部に刻まれた静かな彫刻のようだ。日差しの角度によって赤い砂岩が時間とともに変化し、午前と午後でまるで異なる色を見せるとのこと。

この展望地は、かつてペトラを守る監視所があったとされる場所でもある。都市全体を見渡せるこの高台は、防衛上の要衝であると同時に、儀礼的な意味をも持っていたと考えられている。

エル・ディル(修道院)へ続く道

午後、さらに奥地を目指す。目標は「エル・ディル(修道院)」と呼ばれる巨大建造物。シーク・アル・バリド(小シーク)を経て山道を進む。

険しい岩の階段を登ること約800段。ようやく現れたその姿は、エル・ハズネを思わせながらもより簡素で力強い印象を与える。

幻想的なエル・ディルとの邂逅。ブルクハルトもこのような気持ちだったのだろうか。

「エル・ディル」という名はアラビア語の “Deir(修道院)” に由来する。もとは王権儀礼や宗教行事のために築かれたナバテア期の建築だったが、ビザンティン期にキリスト教徒が礼拝施設として転用したことで「修道院」の名が定着した。名称は建築当時のものではなく、後世の宗教的再利用に由来している。

濃霧が晴れると、エル・ハズネよりも壮大な建造物が顔を出した。

2日目のまとめ

ペトラ遺跡2日目は、地形と信仰が交わる構造を実感する一日だった。王家の墓群、アロンの墓、エル・ハズネの展望、高地の修道院エル・ディル――いずれもナバテア人の信仰と地形の融合を象徴する場所である。未発掘の領域はなお多く、地中にはまだ知られざる都市の一部が眠っている。

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よくある質問(FAQ)|2日目

Q1. アル・フブサ・トレイルから本当にエル・ハズネを見下ろせますか?

A1. はい。アル・フブサ・トレイル(Al-Khubtha)は対岸の断崖上に至る公式ルートで、展望地からエル・ハズネ(宝物殿)を上方から望める。

Q2. アル・フブサ・トレイルの所要時間と難易度は?

A2. 片道40〜60分が目安で、階段と岩場の中級ハイキング相当。滑りにくい靴、1L以上の飲料水、帽子・日焼け対策を推奨。

Q3. アロンの墓(ジャバル・ハールーン)までの行程は?許可は必要ですか?

A3. アロンの墓(ジャバル・ハールーン)は、ペトラ遺跡の西方にそびえる標高約1,350メートルの山頂に位置する。登山口は遺跡の奥部、いわゆる「王家の墓群」区域を抜けた先にあり、片道およそ7キロメートル、徒歩で3.5〜4時間ほどを要する。往復では4〜6時間を見込む必要があり、日帰りでも1日行程がかかる。

ルートは砂岩の尾根を縫うように続き、岩場や急勾配も多く、一般的には中級〜やや難易度の高いハイキングコース相当とされている。公式案内(Visit Petra公式サイト)では、午前中の出発が推奨されており、滑りにくい登山靴・1L以上の水・帽子・日焼け止め・軽食を携行するのが望ましい。

道標は一部不明瞭な箇所があるため、初めて訪れる場合はベドウィン・ガイドを同行するのが安全。遺跡入場券の範囲で登山可能ですが、山頂にはイスラム教の聖廟(アロン=預言者ハールーンを祀る墓所)があるため、立ち入り時は服装・礼節への配慮が求められる。宗教行事期間や金曜礼拝の時間帯には入場制限が設けられる場合もあるとのこと。

頂上では、白い廟とビザンティン期の教会跡が並び、ペトラの市街とネゲブ砂漠を一望できる。風が強く気温差も大きいため、防寒着を携行し、帰路は午後早めに下山する計画を推奨。

Q4. 「王家の墓群」と呼ばれる根拠は?

A4. 巨大で装飾的なファサードと都市を見下ろす立地から、支配層の墓と推定された19世紀以降の便宜的名称となる。特定の王の墓である決定的証拠(碑文など)は未発見。

Q5. 2日券と3日券、どちらがおすすめ?

A5. 王家の墓群・アル・フブサ・トレイル・エル・ディルまで歩くなら、少なくとも2日券を推奨。撮影や登山を十分に取り入れる場合は3日券が余裕。

Q6. トイレや水の補給は可能ですか?

A6. 主要動線にはトイレや売店が点在しているが、区間によっては長い無補給区間がある。出発時点で十分な水を携行し、見つけた補給ポイントで小まめに補充を推奨。

Q7. ドローンや特別な撮影は可能?

A7. ドローンの飛行は原則制限されている。最新の現地ルールと当局・管理者の指示に従う必要がある。三脚の使用可否や混雑時のマナーにも注意。

Q8. ベストな時間帯は?

A8. 展望地の岩肌は日射角で色が変化する。午前遅め〜午後早めは影が少なく、形状が分かりやすい傾向。夏季は高温になるため、早出と十分な水分が有効。

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