1. 大久野島とは

大久野島は、広島県竹原市忠海沖に位置する、面積約0.7平方キロメートルの小島である。瀬戸内海に静かに浮かぶその姿は穏やかで、現在は「ウサギの島」として広く知られる観光地となっている。青い海と豊かな緑に囲まれた自然環境の中に、かつての軍事施設跡が点在し、穏やかな風景と戦争遺構が同時に存在するという特異な景観を形成している。
2. 戦時下の立ち位置

大久野島が軍事と深く結びつくのは、1894年の日清戦争期にさかのぼる。瀬戸内海は当時、軍事輸送や本土防衛の要衝と位置づけられていた。島は「芸予要塞」の一部として整備され、砲台や弾薬庫が設置される。小さな島は次第に軍事拠点へと姿を変えていった。

決定的な転機は1929年である。大久野島はこの島に毒ガス製造工場を設置し、本格的な化学兵器の生産を開始した。製造されたのは、イペリット(マスタードガス)やルイサイトなどのびらん性毒ガスである。これらは皮膚や呼吸器に深刻な損傷を与える性質を持ち、第一次世界大戦でも使用された兵器だった。
当時、国際社会では化学兵器の使用を制限する動きが進んでいたが、日本は研究と備蓄を継続した。大久野島は製造だけでなく、貯蔵や関連研究の拠点ともなり、島全体が高度な機密区域として扱われることになる。
島は国家機密に指定され、一般人の立ち入りは禁止された。従事者にも厳しい守秘義務が課され、島内で何が行われているのかは外部からはほとんど知られなかった。瀬戸内海に浮かぶ小島は、静かな景観とは裏腹に、国家戦略の中枢の一角を担う存在となっていたのである。
3. 地図から消された島
大久野島は、軍事機密保持のため、公式地図からその名を削除された時期がある。毒ガス製造という国家機密を守るため、島の存在そのものを公的記録上から曖昧にする措置が取られた。地図上では空白となり、一般の人々が目にする資料から島の名は消えた。
海図においても同様で、航行上の位置情報は示されながらも、詳細な記載が省かれるなど、実態を隠す対応がなされたとされる。物理的には確かに存在する島が、情報の世界では「見えない存在」となる。これは単なる軍事措置ではなく、戦時下における情報統制の象徴的事例である。

島の内部では、毒ガスの製造と保管が継続されていた。しかし外部からは、何が行われているのかを知る術はほとんどなかった。存在を秘匿することで、活動そのものを不可視化する。大久野島は、国家が記録を管理することで現実を覆い隠そうとした時代の縮図でもあった。
敗戦後、状況は一変する。連合国軍総司令部(GHQ)の指示により、毒ガス関連施設は解体・焼却された。製造設備の破壊、残存物資の処理、資料の廃棄が進められ、島は急速にその機能を失っていく。これらの処理は安全確保のためであったが、結果として証拠の多くが失われることにもつながった。
地図から消された島は、戦後になって再び公的記録に戻る。しかし、消された時間そのものは簡単には戻らない。空白の期間があったという事実こそが、この島の歴史の重みを物語っている。
4. 毒ガスの実験場
大久野島は、単なる毒ガスの製造工場ではなかった。ここでは研究と実験も並行して行われていた。製造された化学兵器の安定性や効果、保存方法の検証などが島内で実施され、施設は実験拠点としての役割も担っていた。

化学兵器は目に見えない物質である。だからこそ、防毒に関する研究も重要視された。防毒マスクや防護服の性能試験、ガス検知方法の開発などが行われ、実際の使用環境を想定した検証も実施されたと記録されている。製造と防御は表裏一体であり、島はその両方を扱う閉鎖空間だった。
実験の過程では動物が使用された事実も残っている。ガスの影響や防護性能を確かめるため、一定の環境下で曝露試験が行われた。詳細な記録は戦後の処理により失われた部分も多いが、証言や資料からは、島が実験場として機能していた実態が浮かび上がる。
現在、島内には大久野島が設けられている。展示内容は、製造の経緯、従事者の証言、健康被害の記録など、史実に基づいた資料で構成されている。派手な演出はなく、事実が静かに提示される空間だ。
観光で訪れた人々が資料館に足を踏み入れると、島の印象は大きく変わる。ウサギの群れや穏やかな海の風景とは対照的に、ここでは化学兵器という現実が示される。大久野島は、過去を隠すのではなく、記録として残す場所へと役割を変えている。歴史の継承は、廃墟だけではなく、資料と証言によっても支えられているのである。
5. 戦後の空白と再生
1945年の敗戦により、大久野島はその軍事的役割を終える。毒ガス関連施設は解体され、設備は破壊・撤去された。島に駐在していた関係者も去り、かつて機密の中枢だった空間は急速に機能を失っていく。

1950年代以降、島は事実上の無人状態となり、長い空白の時間を迎える。赤煉瓦の建物やコンクリートの構造物はそのまま残され、風雨にさらされながら徐々に朽ちていった。草木が伸び、壁面を覆い、軍事施設は自然に取り込まれていく。人の気配が消えた島には、静寂だけが広がっていた。
転機が訪れるのは1960年代である。高度経済成長期に入り、余暇や観光への関心が高まる中、島は「国民休暇村」として再整備されることになった。宿泊施設や遊歩道が整備され、瀬戸内の自然を楽しむ保養地へと方向転換が図られる。かつて閉ざされていた島は、一般の人々に開かれた場所へと変わった。
軍事利用から平和利用への転換。それは単なる用途変更ではない。国家機密の拠点だった空間が、誰もが訪れる観光地へと変わるという、歴史の大きな反転である。廃墟となった遺構は完全に撤去されることなく、風景の一部として残された。結果として、大久野島は過去を抱えたまま再生する道を選んだ。
戦後の空白は、単なる断絶ではない。沈黙の時間を経て、島は新たな役割を与えられた。その再生の過程こそが、現在の大久野島の姿を形づくっている。
6. 「ウサギの島」への変貌
大久野島が現在の姿へと大きく転じるのは、1970年代とされる。島に持ち込まれた数羽のウサギが自然繁殖し、次第に個体数を増やしていった。軍事目的で飼育されていた動物の子孫ではなく、観光施策として計画的に導入されたものでもないという説が有力である。閉鎖的な島の環境と天敵の少なさが、繁殖を後押しした。

やがて島内の各所でウサギの姿が見られるようになり、訪問者の間で話題となる。転機となったのはSNSの普及だ。愛らしいウサギが観光客に群がる写真や動画が海外で拡散され、“Rabbit Island”の名が広まった。瀬戸内の小島は、世界中の旅行者に知られる存在へと変わり、訪問者数は年々増加していく。
しかし、この変貌は単純な観光成功の物語ではない。島内を歩けば、赤煉瓦の発電所跡や砲台跡が今も残る。ウサギが跳ねる芝生のすぐそばに、かつて毒ガスを扱った施設の遺構がある。戦争の記憶を宿す構造物と、癒やしの象徴である小さな動物が、同じ風景の中に並び立つ。
この強烈な対比こそが、大久野島の現在を特徴づけている。ウサギの愛らしさは多くの人を引き寄せるが、その背景には容易には語り尽くせない歴史がある。観光地としての顔と、戦時下の記憶を抱えた場所としての顔。その二つが重なり合うことで、島は単なる癒やしの空間を超えた存在となっている。
7. 現在の大久野島が問いかけるもの

大久野島は、被害の記憶を語る場所とは少し異なる。ここには「加害」の歴史がある。毒ガス製造という事実は、日本が戦時下に担った側面の一端を示している。観光地として多くの人を迎え入れる現在の姿と、その過去をどう両立させるのか。この問いは、島の風景そのものに内在している。
観光客の多くはウサギを目当てに訪れる。だが、島内には毒ガス資料館や軍事遺構が残されている。癒やしの象徴と、戦争の痕跡が同じ空間に存在することは、偶然ではなく結果である。過去を完全に消し去るのではなく、風景の中に残すという選択。それは、記憶の扱い方のひとつの形でもある。
大久野島は、ダークツーリズムの文脈でも語られることがある。負の歴史を持つ場所を訪れ、事実を知る旅。しかしこの島は、単なる悲劇の現場ではない。加害の歴史を抱えるという点で、より複雑な立場にある。訪問者は、楽しさと重さの両方に向き合うことになる。
忘却は時間とともに進む。観光地化が進めば進むほど、歴史は背景へと退いていく可能性がある。一方で、資料館や遺構が存在し続ける限り、記憶は完全には消えない。問題は、それをどう語り継ぐかである。
ウサギを抱えた子どもの笑顔と、静かに佇む赤煉瓦の廃墟。その対比の中で、島は問いかける。過去を抱えた場所は、どのように未来へ進むべきなのか。癒やしと歴史は、同じ風景の中で共存できるのか。
現在の大久野島は、答えを提示する場所ではない。問いを残し続ける場所である。
参考資料(公的・公式機関)
- 大久野島毒ガス資料館(竹原市公式)
展示内容・歴史概要・施設情報
https://www.city.takehara.lg.jp/soshikikarasagasu/chiikizukurika/gyomuannai/7/1957.html - ひろしま竹原観光ナビ|大久野島
歴史および観光情報
https://www.takeharakankou.jp/spot/4304 - 1925年ジュネーブ議定書(外務省)
窒息性・毒性ガスおよび細菌学的方法の戦争使用禁止に関する議定書
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S45-0005.pdf - 広島県立文書館
大久野島関連の公文書・戦時資料の所蔵機関。芸予要塞・毒ガス製造に関する史料調査に有用。
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/monjokan/ - 防衛省 防衛研究所 戦史資料室
旧日本軍の戦史・要塞関連資料の所蔵機関。芸予要塞や軍事配置の一次資料確認に有用。
https://www.nids.mod.go.jp/ - 国立国会図書館デジタルコレクション
戦前の地図・軍事関連資料・公文書の閲覧が可能。大久野島が地図から削除された時期の確認資料に有用。
https://dl.ndl.go.jp/ - CiNii Research(国立情報学研究所)
大久野島・旧日本軍化学兵器研究に関する学術論文検索データベース。
https://cir.nii.ac.jp/ - 広島大学学術情報リポジトリ
広島地域史・戦争史研究論文を閲覧可能。地域史研究の補強資料として有効。
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/
※本記事は公的資料および学術資料に基づき執筆しています。


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