戦争遺跡を歩く ─ Traces of War:バヌアツ編 PART1

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目次

  1. バヌアツと南太平洋戦域
  2. 太平洋戦争期のバヌアツ ─ 軍事的整備と島の動員
  3. WW2memorabiliaを訪ねて

南太平洋の群島国家バヌアツ。その青い海と珊瑚礁の陰に、第二次世界大戦の痕跡は残されている。首都ポートビラから北に位置する「WW2memorabilia」は、第二次世界大戦時に放棄された兵器や装備の残片を収集し、展示している個人所蔵のミュージアムだ。本稿では、太平洋戦争期の背景を概説し、現地視察の記録をまとめる。

バヌアツと南太平洋戦域

地理的な位置と戦略的重要性

バヌアツは第二次世界大戦当時「ニューヘブリディーズ」と呼ばれ、連合軍の後方補給・中継に位置づけられた。フィジー、ニューカレドニア、ソロモン諸島と連動し、航空・海上輸送の要所として機能した。

ソロモン諸島・ニューカレドニアとの関係

激戦地ガダルカナルやブーゲンビルの背後にあたり、兵站の中継点として重要だった。ニューカレドニアほどの規模はないが、地理的バランスから無視できない存在である。

補給線・中継拠点としての役割

潜水艦や航空攻撃の脅威のもと、群島ごとに拠点を分散。滑走路や港湾、倉庫・弾薬庫が整備され、兵士・燃料・弾薬が行き交った。今日も島内各所に遺物や遺構が残存している。

太平洋戦争期のバヌアツ ─ 軍事的整備と島の動員

「ニューヘブリディーズ」としての位置づけ

英仏共同統治の特殊な政治的枠組みが、連合軍に柔軟な施設建設をもたらした。アメリカ・オーストラリア・ニュージーランドなどの部隊が利用し、後方支援の役割を担った。

飛行場・港湾・補給施設の整備

小規模ながら複数の滑走路が建設され、港湾改修も進んだ。倉庫や弾薬庫は密林を切り開いて造営され、物量戦の一端がこの地にも及んだ。

住民の動員と生活への影響

道路建設や荷役などに住民が動員され、生活は一変した。異国の兵士が日常に入り込み、戦争という現実が南国の島へ流れ込んだ。一方で補給物資の影響で様々な部族、村の資源が潤った事実もあった。

WW2memorabiliaを訪ねて

朝7時、バヌアツ入国時からお世話になっているタクシー運転手Tomに連れられ私はエファテ島の北部へ向かった。前日、タンナ島へのフライトを見事に乗り過ごし、半ば放心状態の私を彼は気遣ってくれた。

Tom(写真中央)は私を元気づける為にラップラップ(現地料理)をごちそうしてくれた。

目的地に向かう中で印象的な光景だったのがココナッツの木の群れだ。個々の木は5~10m程度あり、その姿は巨人の行進のようだ。

ポートビラを出発して約1時間半、ようやく目的地であるWW2memorabiliaに到着した。

壁面に大きく「RUST IN PEACE」と書かれているのが印象的。

「REST IN PEACE」ではなく「RUST IN PEACE」と書かれていることを写真を見返している時に気づいた。戦争に対する皮肉が込められているのだろう。

建物正面の壁面には第二次世界大戦に関与した人物や国について様々なイラストが描かれている。

基本的には常駐していたアメリカ、イギリスを称える内容が描かれている。

ここから察するに太平洋戦争に巻き込まれたことでバヌアツの不思議な信仰として知られる「カーゴカルト信仰」「プリンス・フィリップ信仰」が生まれていったのだろう。

戦争が起きなければこの信仰が生まれず、バヌアツ経済が現在程発達しなかったのではないかと思うのもまた皮肉だ。

特に私の関心を引いたのはこの絵である。「CAN ANYONE STOP TOJO?」と書かれている。

これは太平洋戦争時の首相かつ陸軍大将であった東條英機のことを書いているのだろう。

特徴を捉えており、なかなか写実的な絵である。作者は画家を目指すべきだろう。

冗談は置いておき、このような絵を描かれるほど当時の日本軍は脅威だったのだろう。

戦争遺跡を歩く ─ Traces of War:フィジー編で出会った男もそうだったが、当時の日本に対する

印象を“侵略される側”の視点で語られることは非常に貴重な経験だった。

WW2memorabiliaの所有者。

そうこうしているうちに所有者が現れた。入場料700バツ(バヌアツ・バツ)で中の展示物を見せていただいた。

展示物について

屋内には銃器・砲弾・軍服・医療器具などが素朴に陳列されている。

所有者にどこから来たのか?と尋ねられたので、日本から来たと伝えると「ハハハッ!!インベーダーだな!」とバヌアツジョークをお見舞いされた。(ジョークなのかは不明)

そんな彼の一押し品は日本製の双眼鏡だ。かなりの重量でおそらく2kg近くはある。

他には手榴弾もあった。今と違い鉄製でこれも500gほどある。

そもそもこの太平洋戦争時の残置物の収集を始めたきっかけを尋ねたところ、どうやら彼のお祖父さんがコレクションを始めたそうだ。

その背景に、当時日本が敗戦し、撤退をした。アメリカ軍も同様に補給線であったバヌアツ内の各島々の基地から引き払っていった。その際、基地の解体や装備・車両を回収せず放棄していった事実がある。

これらの残置物がお金になるのではないかと考え近隣の村や海岸から発見してはコレクションとして収蔵していき、今のWW2memorabiliaができあがったそうだ。

数年前は廃車両や飛行機の残骸もあったそうだが、オーストラリア軍が回収していってしまい、今は見られないとのこと。(見たかった

他の地域への広がり

今回のWW2memorabiliaで得た情報を踏まえてバヌアツ各地には未調査の戦跡が点在していることがうかがえる。今回はスケジュールの都合上、訪問できなかったが、サント島のミリオンダラーポイントなどの大規模遺構や太平洋戦争によって生まれた信仰についても興味深い点が多くあり今後、現地視察の機会を作りたいと思う。

バヌアツ編はまだ続き、PART2として太平洋戦争時に墜落したといわれる飛行機体について取り上げたいと思う。

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