台湾・三芝の山中に、貝殻と珊瑚で覆われた廟がある。
富福頂山寺、通称「貝殻廟」。龍が身をくねらせ、狭い通路の奥には神仏の像が並ぶ。
なぜ山の中に海底龍宮を作ったのか。
現地で見た造形を手がかりに、濟公をめぐる伝承と、素材を集めた人々の営みをたどる。

1.しゃがんだ先に、像が立っていた
富福頂山寺の内部には、貝殻や枝状の珊瑚に覆われた、洞窟のような通路がある。
人ひとりがようやく通れる幅で、しゃがんで歩かなければ先へ進めなかった。
白っぽい突起は壁から天井まで続き、その間に電球が取り付けられていた。

周囲には貝殻で花の模様が描かれている。
洞内へ入ると、彩色された像が見えた。入口からは見えなかった姿だ。
片手に扇のようなものを持ち、胸には大きな珠を連ね、細かな模様の衣をまとっている。
傍らでは、緑の鱗と赤い口を持つ龍が身をくねらせていた。像の頭上にも背後にも、珊瑚が隙間を埋めるように並んでいる。

台湾・三芝区にある貝殻廟と呼ばれるこの場所で、私は像の名前も、通路の意味も知らないまま、その姿を見ていた。
目に入るのは海を連想させる素材と造形なのに、自分がいるのは山の中だった。貝殻やサンゴ礁が像を囲み、人の通る道を縁取り、頭上を覆っている。
なぜ貝殻なのか。誰が、どのような理由で、ここにこの空間を作ろうとしたのだろう。
2.貝殻廟の外側と、祭壇の前
富福頂山寺を訪ねたのは、2026年8月24日だった。
以前、佐藤健寿氏の写真集でこの場所を知り、訪問前にはGoogleマップでも画像を見ていた。
貝殻に覆われた内部の写真から、私は大規模で華美な場所を想像していた。
実際の建物は、思っていたよりもこぢんまりとしていた。入口の前にはスクーターが停まり、周囲には木々が茂っている。屋根の下には蛍光灯が渡され、設備は簡素で、年季が入っていた。その建物の内側に、壁を覆う貝殻と、密集した装飾が収まっていた。

祭壇に向かって参拝する人たちもいた。赤い柱の間に立つ二人の先には供物や祭具が並び、背後の壁には像を納めた小さなくぼみが連なっている。貝殻の装飾は、参拝する人のいる空間全体に広がっていた。
訪問時、観光客らしい人はほとんど見かけず、近隣の人が立ち寄っているように感じた。
ただ、誰とも会話はしていない。
参拝者がどこから来たのか、普段どれほどの人が訪れるのかは分からない。
想像していた規模との違いはあった。それでも、狭い通路の奥で感じた不思議さは残った。
外観の簡素さと、内部を埋める造形の細かさ。その両方が、この廟の姿だった。
3.この場所に祀られる濟公とは誰か
帰国後に資料を読むと、富福頂山寺の信仰の中心に、濟公という存在がいることが分かった。
世新大学『小世界』の取材記事は、この廟が濟公活佛、天上聖母、十八羅漢を祀ると説明している。

濟公のもとになったのは、中国・南宋時代の僧、道濟である。その人物像には、後世の伝承が重なっている。破れた衣をまとい、酒肉を口にし、風変わりな振る舞いをしながら人々を救う。
そうした姿で語られ、「濟公活佛」として敬われてきた。歴史上の僧の生涯と、神通力によって人を助ける物語は、分けて読む必要がある。
私は現地で、魚や龍の装飾から、海に関わる信仰を思い浮かべていた。しかし、この廟の背景を探るには、まず濟公を知る必要があった。複数の像が並ぶ光景も、名前や由来を知らないまま「信仰が混ざっている」と片づけるには早かった。
では、南宋の僧に由来する濟公と、山中の貝殻の空間は、どう結びつくのか。その間をつなぐのが、寺院関係者の語る海底龍宮の物語だった。
4.海底龍宮を、地上に組み上げる
富福頂山寺の造営に関わった人物として、資料に登場するのが李樹欉である。自立廟宇網に掲載された管理委員・陳氏の説明によると、もともと台湾の三重(現在の新北市三重区)では、「富福社」に集う濟公の信徒たちが、神像を交代で自宅に迎えて祀っていた。李がその役を担った後、神像を安置する廟の場所を探すことになり、三芝の土地の所有者と交渉を進めたという。
では、なぜ貝殻と珊瑚だったのか。
世新大学『小世界』の2020年の取材に、寺院職員・郭家吟の説明が残っている。
濟公が李の夢に現れ、かつて囚われていた海底龍宮の景色を懐かしみ、その美しさを人々にも見せたいと望んだ。そのため、貝殻と珊瑚で龍宮に似た廟を作るよう求めた、という由来である。
これは寺院側が語る伝承であり、建設の経緯を記した工事記録とは性質が異なる。
語り方は一つではない。前述の陳氏は、濟公の意向が扶乩という神意を伝える儀礼を通じて示されたと説明している。最初は装飾のない鉄筋コンクリートの建物で、後から海底世界に改めるよう求められたという。夢と扶乩、建廟と改装。細部には違いがあるが、どちらにも海底の風景を地上に作るという筋が通っている。
その風景を形にするには、実際の材料が必要だった。
中央研究院に掲載された巫文隆の解説は、海底宮という構想を受け、信徒たちが貝殻や珊瑚、真珠などによる表現を考えたと記している。陳氏の説明でも、素材を集めたのは信徒たちだった。当初は、大量の貝殻や珊瑚をどこで購入すればよいか分からず、調達に苦労したという。
由来をたどると、神の望みとして語られる風景の先に、素材を探し、集める人々の仕事が見えてくる。

撮影した装飾を見返すと、小さな貝殻が列を作り、曲面に沿って並んでいる。
一つずつの輪郭が残ったまま、それらが集まって別の形を作っている。
洞内では、枝分かれした珊瑚が壁から天井へ続き、像を囲んでいた。

その手前に置かれた瓢箪形の物。
誰がどの部分を設計し、組み上げたのかは、今回確認できた資料だけでは特定できなかった。それでも、目の前の空間には、材料を選び、向きを決め、配置する工程がある。海底龍宮という由来と、貝殻一つずつの形。その間を埋めた人々の手仕事も、この廟を成り立たせている。
5.由来を知って、もう一度写真を見る
帰国後、通路の奥で撮った像の写真を開いた。彩色された衣と龍の周囲を、白っぽい珊瑚が埋めている。その間には電球があり、配線も見える。現地で目を引かれた造形と、それを照らす設備が、一枚に収まっていた。
海底龍宮をめぐる由来を知ると、山中に海の素材が集まっていることに、一つの筋道が見えてくる。私が不思議に感じた空間には、寺院側が語り継ぐ理由があった。さらに、その景色を作るために、素材を探し集めた信徒たちがいた。
ただ、由来が分かっても、この形のすべてを説明できるわけではない。
龍の曲線や、像を囲む珊瑚の配置を誰が決めたのか。どこまでが初めから考えられ、どこからが作業の中で形になったのか。そこは、まだ分からない。
写真集で知り、実際にしゃがんで歩き、帰国後に資料を読んだ。
それぞれから得られたものは少しずつ違う。写真を見返すいまは、像の周囲にも目が向く。
列を作る小さな貝殻、枝の向きが異なる珊瑚。それらを一つずつ配置して、この通路を作った人々の仕事が気になっている。
出典・参考文献
本稿は、2026年8月24日の富福頂山寺訪問時の観察・撮影記録と、以下の公開資料に基づく。寺院の由来については、関係者が語る伝承と、現地で確認した事柄を区別して記述した。
- 司宜禾・賴怡君「富福頂山寺 深山裡的海底龍宮」
世新大学『小世界』、2020年6月24日。
奉祀する神仏、神像を信徒が交代で祀っていた経緯、寺院職員・郭家吟による海底龍宮と濟公の夢告についての説明を参照。
記事を読む - 「頂山寺(貝殼廟)」
自立廟宇網、公開日不明。
管理委員・陳氏による富福社と李樹欉の説明、建廟の場所探し、扶乩を通じた指示という由来、信徒による素材収集について参照。
記事を読む - 巫文隆「寶貝 台灣寶貝——貝類與人文多樣性系列(8-4)『住』——貝類與人類的建築工藝」
中央研究院數位典藏資源網、写真:張文誠、公開日不明。
三芝の貝殻廟について、信徒たちが海底宮を貝殻・珊瑚などで表現する構想を練ったという説明と、貝殻による造形の解説を参照。
記事を読む - 「濟公」
国家文化記憶庫/文化部典藏網、公開日不明。
南宋の僧・道濟と、濟公活佛として語られる人物像について、収蔵品の解説を参照。
資料を見る - 「木雕濟公像」
国史館台湾文献館、収蔵品番号:19940010664、公開日不明。
濟公の呼称と、酒肉を忌まず人々を救う存在として伝えられる姿について参照。
資料を見る
施設の区別に関する補足資料
- 「台灣珊瑚貝殼廟(新廟)」
新北市政府観光旅遊局「新北市觀光旅遊網」、2026年7月30日更新。
石門区にある同施設の所在地と、2024年に正式に見学開放したという記載を確認。本稿で訪問した三芝区の富福頂山寺とは区別した。
このページを、両施設の分派や組織的関係を裏づける資料としては使用していない。
公式ページを見る
※ウェブ資料の最終確認日:2026年9月22日。
※夢告と扶乩など、造営の由来には資料間で語り方の違いがある。
本稿ではそれらを一つの確定した出来事に統合していない。


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