巨大な犬を祀る|台湾・十八王公廟

台湾北部、山側に建つ乾華十八王公廟には、高さ約30メートルの犬の像がある。
その姿にひかれて訪ねたが、犬が祀られる理由も、像がこれほど巨大になった経緯も知らなかった。十七人と一匹の犬をめぐる伝承、海沿いと山側に残る二つの廟、そして像の高さを決めたという神意の問いかけ。現地で見た光景と、訪問後に調べた資料から、巨大な犬の足元にある信仰をたどる。

1.山道から見えた犬

バスを降り、大通りから山へ登る道に入った。百メートルほど歩くと、大きな犬の像が見えた。2026年8月24日、台湾北部の乾華十八王公廟を訪ねた。

山あいの建物の隣に、黄金色の犬が見える。

ここに巨大な犬がいることは、写真で知っていた。大きさも、おおよその見当はついていた。それでも近づくにつれ、像を見上げるために首が上を向いていく。その角度が増すほどに、巨大さに驚いた。
犬は黄金色をしていた。廟の建物の隣に座り、頭は屋根よりも高いところにある。道の先から見えていた姿が、近くでは一度に見渡しにくくなる。写真で覚えていた外観に、自分の身体との距離が加わっていった。

なぜ、ここでは犬が祀られているのだろう。そして、なぜこれほど大きな像を造ったのだろう。

犬を祀る理由が分かっても、この大きさの理由まで分かるとは限らない。事前に見た写真は、この場所を訪ねるきっかけにはなったが、その二つの問いへの答えは持っていなかった。

2.十七人と一匹

廟内には、人の姿をした像が段をなして並ぶ祭壇があった。その数は十七体。犬の像も、ともに置かれている。「十八王公」という名には、この十七人と一匹にまつわる由来がある。

十七体の人像と犬の像が並ぶ祭壇。
「十八王公」の由来は、十七人と一匹の伝承にある。

訪問後に調べた新北市の観光案内は、清の同治年間の出来事として、次の伝承を紹介している。福州の商人十七人と犬一匹を乗せた船が、浙江省の普陀山へ向かう途中で遭難し、石門の乾華に流れ着いた。人々はすでに亡くなり、犬だけが生き残っていたという。

住民が遺体を葬ると、犬も主人たちの後を追って命を絶ち、一緒に葬られた。近隣の人々が供養を重ね、やがて十七人と一匹は「十八王公」と呼ばれるようになったとされる。これは同市が紹介する伝承であり、遭難の状況や犬の最期を、当時の記録によって確認できたわけではない。[1]

その物語は、死者を葬ったところで終わらない。海で危難に遭った住民を十八王公が救ったという話が伝わり、加護を求める信仰へと広がっていく。自由時報の2015年の記事も、海沿いの旧廟の地下に十七人と犬の墓があり、住民を守ったという霊験譚が広まるにつれて、多くの参拝者が訪れるようになったと伝えている。[1][2]

犬は、この由来の中で、人々とともに葬られ、ともに祀られる存在だった。外からは巨大な犬の姿が目を引くが、廟内の祭壇には、十七人と一匹が並んでいる。

では、その犬を約三十メートルの像にする判断は、いつ、どのようになされたのか。それをたどるには、海沿いの廟と、私が訪ねた山側の廟との関係を見ておく必要がある。

3.海沿いの廟と、山側の廟

私が歩いて登った、巨大な犬の像がある廟は、山側に建てられた新廟にあたる。もともとの廟は、海沿いを走る省道・台2線の脇にあった。そして現在も、新旧二つの廟が残っている。[2]

自由時報の2015年の記事は、かつての参拝者の多さを、一つの逸話で伝えている。当時の行政院長・孫運璿の車が、淡水と三芝の境付近で渋滞に巻き込まれた。随行者に理由を尋ねると、十八王公廟へ向かう車が石門から三芝まで連なっていると知らされたという。同紙も伝聞として記している話だが、廟のにぎわいが道路の混雑と結びつけて語られていたことがうかがえる。[2]

同紙によれば、1986年、台2線の拡幅に伴い、廟側は山腹への移転を決めた。その判断に際しては、擲筊という神意を問う方法で伺いを立てたとされる。道路整備への対応も、廟をどこへ移すかという判断も、信仰の手続きを通して進められたという説明である。[2]

ところが、その後に王公橋が建設され、交通の混雑が緩和された。旧廟は移転せずに残り、山側では新廟が建てられた。同紙は、こうして二つの廟が併存することになったと報じている。[2]

海沿いから山側へ、信仰の場所がすべて置き換わったわけではなかった。墓を抱える旧廟が残る一方で、新たな境内が山腹に設けられた。その新廟の隣に造られたのが、道を登る私の前に現れた巨大な犬の像だった。

4.犬の像は、なぜ十階分になったのか

現地の沿革碑によれば、巨大像が完成・安座したのは、民国八十四年、つまり1995年だった。[3]

廟の隣に座る巨大犬像。自由時報が報じた高さは、避雷針を除いて約30メートル。

自由時報は、この像が犬の忠義を記念して造られたと説明している。しかし、記念する像を建てることと、それを十階建てに相当する高さにすることは、別の判断である。その高さについて、同紙の取材に答えた廟公の練瑞煙は、擲筊で十八王公に問いかけた結果だったと語っている。[2]

練瑞煙の説明によれば、最初は三階分の高さから伺いを立てた。順に高さを上げて問い、十階分になったところで、肯定の答えとされる「聖筊」を得たという。像を置く場所についても、同じように了承を得て、新廟の隣に決めたとされる。[2]

これは、造営から年月を経た2015年に、廟の管理に携わる人物が語った経緯である。設計図や発注書から判断の過程をたどれたわけではない。それでも、廟側の説明では、この巨大さは神意に従って選ばれたものとして位置づけられている。

同記事が伝える像の高さは、避雷針を除いて29.903メートル。銅板をつなぎ合わせた構造で、内部は空洞になっているという。道から見上げた犬の大きさには、具体的な寸法と、それを形にする工事があった。[2]

2015年当時、廟側は世界一高い銅製の犬の像として、ギネス世界記録への申請を準備していた。ただし、それは建立後の動きである。記録を狙ってこの高さにした、と造営の目的をさかのぼって説明することはできない。[2]

犬を祀る由来には、人々とともに葬られた犬の伝承があった。そして巨大像の高さには、神意を問いながら決めたという、もう一つの語りがあった。外から眺めていた姿に、異なる時代の二つの物語が重なっていた。

5.廟の中を歩く

廟では、一階と二階の両方に入った。祭壇には線香や菓子が供えられ、専用の線香セットらしきものも売られていた。

管理者と思われる人が、礼を繰り返しながら複数の祭壇を回っていた。決められた順番で参拝しているように見えたが、その手順を尋ねたわけではない。どこで何回礼をするのか、祭壇ごとに何を祈るのかまでは分からなかった。

供物が並ぶ祭壇の前に立つ人。奥には祭祀用品が並ぶ。

内部を見渡すと、祭壇の前に供物台が並び、その脇に通路が延びている。台の上には船の模型もあった。

一階の内部。
祭壇に沿って供物台と通路が延び、手前の台には船の模型が置かれている。

犬の像を祀る祭壇があり、小さな犬の像がいくつも並ぶ場所もある。外で見上げた一匹のほかにも、建物の中にはさまざまな大きさの犬がいた。

赤い布を首にまとった犬の像。
屋外の巨大像のほかに、廟内にも犬を祀る祭壇がある。

二階の祭壇には、冠をかぶり、長い髭を垂らした人の姿の像があった。その顔を見て、関羽だろうかと思った。ただ、その場で神名を確かめることはできなかった。衣装や顔立ちに見覚えがあっても、ここで誰がどのように祀られているのかを理解しているとは限らなかった。

二階の祭壇。金色の衣装をまとった神像を、細かな彫刻が囲む。

訪問後の調査で、犬を祀る伝承と、巨大像の高さを決めたという廟側の説明を知った。それぞれに由来はあったが、それだけで廟内で見たものすべてに説明がつくわけではない。祭壇を回る順序や、並ぶ像の一つひとつには、まだ確かめていないことが残っている。

この場所を訪ねるきっかけは、約三十メートルの犬だった。けれども、その足元で見たのは、線香や菓子が供えられ、人が祭壇の前で礼をする光景だった。巨大像の由来をたどる記事は、そこで続いている参拝の、入口までを記したものでもある。

出典・参考文献

[1]新北市政府觀光旅遊局「十八王公廟」

十七人と一匹の犬に関する伝承、合葬と祭祀の由来、霊験譚の広がりについて参照。伝承を紹介する資料として使用。

新北市觀光旅遊網「十八王公廟」

[2]李雅雯「18王公廟10樓高銅犬 要拚金氏紀錄」『自由時報』2015年1月27日

新旧廟の併存、道路拡幅に伴う移転計画、王公橋の建設、巨大犬像の構造・寸法について参照。像の高さと設置場所を擲筊で決めた経緯は、同記事に掲載された廟公・練瑞煙の証言に基づく。

自由時報「18王公廟10樓高銅犬 要拚金氏紀錄」

[3]乾華十八王公廟「乾華十八王公廟沿革」現地設置碑

2026年8月24日撮影。廟の沿革および巨大犬像の完成・安座年について参照。

記録写真:
乾華十八王公廟沿革.jpg

現地取材・写真:2026年8月24日、筆者撮影・観察。道中、廟内の配置、供物、人物の動きに関する記述は、この日の観察と訪問後の記憶整理に基づく。

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